忍者ブログ
こんにちは、はじめまして。マロンといいます。 ちょうど10年ぐらい前でしょうか…ドラゴンボールの悟飯ちゃんに再熱して、サイトを開設していたものです。サイトの方は、5年前に私生活が慌ただしくなったことを機に閉鎖し、今は倉庫として放置しています。 今更ながらに、悟飯ちゃん愛が再熱してきまして…それでも私生活が慌ただしいことには変わりないので、長続きするかもわかりませんが、しばらくの間、ネット世界の片隅でわーわー騒いでいたいと思います。
[210]  [209]  [208]  [207]  [206]  [205]  [204]  [203]  [202]  [201]  [200
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

お気に入りの傘を出かけ先に忘れてきたことが悲しくて仕方ありません…

こんばんは、マロンです。
うわーん、私のばかぁ。
なんでよりによってあの傘忘れてくるんだよ…悔しすぎるっT^T

あ。
いろいろわけあって、結構真面目なこと語ってるブログさん読んでたんですが。
ちょっくらWJのバトル漫画について語っておられる記事拝見して。
勿論の如く、ドラゴンボールにも触れておられて。
なんというか、思うことがあったので。
ちょっと語ってみる。
眠い中読んで…あんまり理解できてはいないだのだろうけど。
でも、なんか今のうちに吐き出しておきたかったら書き留めます。



あまりにも語りすぎていた(今までで最長?)ので。
下に折りたたみました。
結構マジ語り(?)してます。^^;


私は、ドラゴンボールは夢を表してるのかなぁ、とか思ってます。
タイトルにもなってるドラゴンボールって、夢を叶える不思議球じゃないですか。
もちろん、それは非現実的なものですしリアルとは程遠いのかもしれない。
だけど、それでも、私たちは夢をみる。
それを叶えてくれる。

漫画って、そもそも現実の世界を描くためのものじゃない。
現実をわかりやすく伝えるための漫画もあるとは思いますが、多くはその虚構の世界で、何か伝えたいものを虚構の力を借りて書くものだと思うんです。
それは、漫画に限らず、小説だって、映画だって…あらゆる創作がそうなんだと思ってます。
きっと、ドラゴンボールが今でも人気が在るのは一つに、ここの夢があったからなんじゃないかなとか…思ってます。

で。
ドラゴンボールは確かに、話が進むにつれどんどんバトルの要素が強くなって、さらにはパワーインフレ起こしてるとは思います。
でも、だからかといって、後半が…ブウ編が破綻してるとは思わないです。
あの終わり方が…無理やり無難に終わらせたとも思いません。
いや、確かにもっと話は広げられたかもしれない。
だけど、それはこれからの物語は、読み手に委ねたんだと…そういう終わり方をされていたと私は思います。
アニメのGTとかはその広がった世界のうちの一つなんじゃないでしょうか?

大体、サイヤ人来襲編も、人造人間、セル編も、ブウ編も、バトル要素は強いですが、それぞれに根本のストーリーがあって。
そこに付属して(それらのストーリーを展開させるために)バトルがあったのだと私は解してます。

特に、あの最後の元気玉で終わらせるのって…すごいなぁ、って思うんです。
弟とも、以前、話したことがあったのですが。
ブウを倒すにあたって、みんな生き返らすじゃないですか。
そのときの弟の一言

「悟空がいってた案(悟飯たちと協力する)が一番手っ取り早いじゃん」
「え?どういう意味さ」
「だってさ、悟空も最初は悟飯とフュージョンする予定だったんだろ。正直こん時の悟飯はメチャ強いわけだから、こんときの悟飯とフュージョンしたらとんでもない力になるんじゃね?多分ブウ一撃粉砕」
「でも、悟空さは一人で倒したかったんじゃ?」
「だけど、元気だまってのはみんなだろ、一緒じゃん」

なんとなーくで会話してたんですけど。
(個人的に、悟飯と悟空の合体はみてみたかった笑)
そうなんですよね、元気だまってみんななんだよ。
アニメとかそのあたりすごく強調されてたけども。
とある神MADとかみてて、改めて思ったのだけど。

ブウ編ラストはみんなで協力して倒すってことに意味があったのかなぁ、って。
すごく今更なような気もしますが、改めて。
なんというか、悟空さの「みんなオラに力わけてくれ!」っていうの。
きっと、テレビ見てる小さな子どもとかだったら、町の皆と一緒に手あげるよ。
ぼくの、元気ももってって!って。
そうやって、こうみてる自分も一緒になって協力してるってとこに、意味があったのかなぁ、とか。

セル編では、親子カメハメ波がキーでした。(ここは親子好きとしていろいろいっぱい語りたいところ…むしろ語りたい気持ちが先走りすぎてきっと語れないところ)
フリーザ編では、最後の最後は友を殺されたことの怒りがキーでした。
それぞれに、そのバトルの意味があった。
だからこそ、ドラゴンボールはパワーインフレしながらもおもしろいんだと思うんです。

あと、ご都合主義だから現実味ないっていうようなこと…いわれるけど。
ドラゴンボールの正史は…みんな死んじゃってる。
人造人間に殺されて――
だけど、そういうことわかっているからこそ、それを変えようと悟飯もトランクスも頑張って。足掻いて。
そうして手に入れた平和なんだ。
現実味ないっていうけど、悲劇を回避しようと足掻いて手に入れた平和なんだ。
だから、意味があるんだ。
ご都合主義とかじゃなくて…なんていうのかな、自分達で手に入れたものなんだから、勝ち取ったものなんだから…素直に享受してるって考えていいんじゃないかな。


なんか、いっぱいいろいろ語った気がします。
というか、いろいろ読んでたら、ブウ編ってあまり人気ないって…ほんとなんですか。
え、私かなり好きだよーーっ。
青年悟飯もいるし、悟天もいるし、悟空さ生き返るし…!
サタンはほんとの英雄なるし、ベジータは家族想いの良いお父さんになるし、ピッコロさんは保父さんだし、ビーデルさんも出てくるし、チチもようやく幸せになるし…孫家みんなそろうし!
私はブウ編なかったら、ここまではドラゴンボールにはまってなかった気がする。
無論セル編も好きだ。未来編はいわずもがな。
全部好きだーーーっ。


あ、少しジャンル変わるけど。
幽白もさ、別に破綻してるとは思わないんだ。
あの物語は、何が善で何が悪かってこと、明示するんじゃなくて。
そこを考えさせたからこそ、広がったんだと思う。
だから幽助は「戦うってどういうことなんだ」ってこと考えて。
そこに意味があったんじゃないだろうか…
それらを考えたうえで、こっちに戻ってきて。
それらの今までは善悪はっきりとわけられていたものが、ボーダレス…境目がなくなったカオスの世界での日常を営むことになって。
そうして終わったんじゃなかろうか。



なんかね、バトル漫画とか抽象度の高いカデコリとして。
ひとくくりに語られているから、きっとこう全般的なところがとりだたされていたんだとは思うんですが…。
それでも、やっぱりなあ…その漫画のことに触れるんだったらもっとな、根本的なとこもみて欲しいなあ、とかいう欲目です。
もちろん、今私が語ってたのだってばりばり主観論なわけで。
他にもいろんな見方があるんだろうけども…。
こういう考え方してるのもいるんだな、程度で。
PR
カレンダー
04 2025/05 06
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
リンク
material by:=ポカポカ色=
忍者ブログ [PR]